ED16の思い出

 私は、昭和42年生まれで、(途中空白がありますが)昭和46年から青梅で生活しています。
 物心つくころから、ED16を見ていたのだと思いますが、幼少期の私を惹きつけたのは、72系の旧型電車や101系や103系の新性能電車でした。当時の私にはED16は石灰を引く単なる貨物でしかありませんでした。ED16に関心を持つきっかけになったのは、小学校6年生のとき『鉄道ダイヤ情報1979年冬号』を手にし、その中の撮影ガイドの記事にED16をみつけてからです。現役の最古の電気機関車で、50年近くも走り続けているという事実に驚くとともに、そういう電気機関車が地元に走っていることが誇りのように感じたのです。以来、ED16に対する見方が変化し、カメラを向け始めた中学生になると、次第にED16を撮ることに熱中していきました。振り返れば、中学校3年間の私の趣味はED16を撮影することがすべてであったように思います。身延線、飯田線、可部線などの旧型電車の撮影もしましたが、被写体としてはED16が私の中ではいちばんでした。
 思い入れが強かっただけに私が高校に入学と同時にED16が引退すると、私は鉄道自体に興味を失くし、鉄道写真からも次第に足が遠のいていきました。大学に入ると大事に思っていたED16の写真やネガはタンスの中に入ったままとなり、やがては押入れの奥深くで深い眠りにつきました。
 月日は流れ流れて、37才になった私がいました。ED16が引退して22年。鉄道サイトを見ているうちに撮影した写真が見たくなり、押入れから探し出したのがこのサイトを立ち上げるきっかけになりました。                      撮影年月も不明になってしまっている写真も多いのですが、中学生のときやり残した整理を楽しみながらやっていきたいと思います。
 20数年前、青梅線でED16を撮影しているとき、都内外から撮影に来ている様々な方と出会い、お話をしました。ED16引退前を除き、ほとんどが年上の方たちでした。中学生の私にはED16を通じて大人の人と話しができることも、撮影のときの楽しみだったように記憶しています。一日限りの出会いでしたが、カメラや現像の方法などいろいろなことを教えてもらいました。このホームページを作った目的には、そうした人たちともう一度話しがしたいという思いがあります。私と同じようにED16を追いかけた方がいましたら、掲示板のほうで思い出話ができたらいいなと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

写真は中学2年の私。河辺駅で。機関士さんが撮ってくれました。






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