大久野の今、あれから23年。
五日市線貨物の最後の運用の日以来、私は大久野に一度も足を運ぶことはありませんでした。今回、ED16の写真を整理していていちばん気になったのが大久野でした。あの場所はどうなっているのだろうか。人づてに変わっているとは聞いていましたが、ひょっとすると駅舎の一部や線路や架線の痕跡が残っているかもしれない、もしそうだとしたら少しでもいいから懐かしい思いに触れたいと考えたのです。そして、2005年5月22日、私は23年ぶりに大久野に足を運びました。
武蔵五日市駅から秋川街道を歩き、大久野方面をめざす。
正面やや右の高架橋は五日市線。左手は岩井支線の線路があった場所で、
コンクリートの柵に鉄道があった証をみる。ひょっとして、あまり変わってないのではと
期待が膨らむ。
ところが、坂を上がってくと線路があったと思われる場所には新しい建物が
次々に現れました。
秋川街道を進み、大久野駅があったと思われる方向の細い道に入ると、駐車所に出ました。
60代くらいの夫婦が通りかかったので、
「昔この辺りに線路がありませんでしたか」と訊くと
「そうだよ、このちょうどこの辺りが線路だったよ」と教えてくれました。
淡い期待を込めて、大久野の駅舎は残ってないですかと訊いたのですが、
やはり残ってないと…。左奥の山に見覚えがあるので、古い写真を取り出しながら
私はさらに前進しました。
周囲の家々の様子はすっかり変わってしまっていましたが、左手の小山が
大久野駅のあった場所や、ED16が停車していた場所を教えて
くれました。私は鉄道の痕跡を探して武蔵小岩方向に進みました。
当時の面影を十分に感じられます。
線路があったと思われる左手の歩道に進むと…。
山を切り開いて線路を通した痕跡がわかる様子
「日本……」読み取れない古い看板が。いったい何と書いてあるのでしょう?
すぐに行き止まりになったので、線路があったと教えてくれた場所に私は戻りました。
俯瞰撮影した小山は、木が大きく成長していました。
私は、23年という月日の長さを実感しながら来た道を五日市駅方向に戻りました。
本線との合流地点をめざして。
高架になった五日市線は当時大久野方面につながっていた線路跡を利用していました。当時武蔵五日市駅に
通じていた線路は行き止まりになっていました。
少しだけ浦島太郎の気持ちがわかったような23年ぶりの大久野でした。
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