高尾〜相模湖
高尾〜相模湖は、甲州街道(旧甲州街道)の歴史、情緒、自然豊かな風景に包まれています。しかし現在、圏央道工事が急ピッチで進められており近い将来その風景が一変することも考えられます。2006年夏〜2007年冬にかけて201系とともに、今の風景を記録しておきたい数回にわたり撮影に出かけました。
裏高尾は、私が小学生のころはじめて動く電車を撮影した思い出の地でもあります。当時の写真を交えながら、9.5キロの道のりを紹介します。
高尾駅からは500メートルくらい甲州街道と並行して走ったあと、線路と道は交差します。橋の下には浅川も交差しています。
甲州街道をクロスして、小名路踏み切りにさしかかる新鋭のE233系。
小名路踏み切りより(上り)
中央線をくぐるとすぐに甲州街道は、旧甲州街道(右)とに分岐します。
現在、西浅川の信号となっていますが、以前は小名路と表示されていました(バス停は今でも小名路です)。
甲州街道と旧甲州街道の分岐点。
旧甲州街道は、陣馬山、高尾山、小仏峠などのハイキングコースにつながっているため
ハイカーの姿がいつも見られます。中央線は旧甲州街道に沿って進みます。
小名路の踏み切りを通り、疾走する下りあずさ 1979年頃
現在は立ち入りできません。当時は踏み切りはないものの、人が行き来していました。
1979年頃
跨線橋は昔のまま
跨線橋から
1979年頃
跨線橋がある周辺はの駒木野は甲州街道の宿場だったらしい。
駒木野を過ぎると、圏央道反対の看板がそこかしこに出現します。
都心から1時間とかからない場所に分校があることを知る人はどれくらいいるのでしょうか。
蛇滝口バス停に、有名な撮影ポイントの荒井踏み切りがあります。
蛇滝は甲州街道を200〜300メートル進み、左に曲がって高尾山への山道を進んだところにあり、
この地点からは30分くらいかかります。
荒井踏み切りにさしかかる201系。
左にある石碑は、湯の花トンネル事故の慰霊碑。
荒井踏み切りを渡ると、湯の花トンネルに入る。
湯の花トンネル(上り)。
このトンネル手前で、多くの人の命が奪われました。
荒井踏み切りより 下り201系
荒井踏み切り付近
(高尾山から)
湯の花トンネルをくぐり抜け、相模湖に向かう201系
圏央道の工事がかなり進んでいます。
(高尾山から)
反対運動も今や過去の出来事でしょうか。
どこか懐かしさが…。
湾曲している圏央道は俯瞰写真の右端と同一です。
摺差第二踏切
ここも定番撮影ポイントです。
1979年頃
梅雨の朝、基本編成の6両が大月に相棒を迎えに行く
摺差の秋
湯の花トンネルを出てくる201系。
高尾山からの俯瞰写真と電車の位置はほぼ同じだと思います。
1979年頃
昔からあるマスつり場。
時代の流れか、今はルアーとフライフィッシングが主のようです。
この釣堀を左に見て進むと、再び中央線と旧甲州街道は交差します。
上り201系より。
釣堀の脇の道が旧甲州街道です。
中央線が右に曲がると、小仏トンネルはもうすぐ。
夏草が生い茂る、小仏トンネル付近。
大月からの東京行きが小仏トンネルを出て、高尾に向かいます(後追い)
下りスーパーあずさがトンネル進入
上り小仏トンネル出口から
そして、相模湖側に
左の上りトンネルは1901年、右の下りトンネルは1964年完成。
レンガ造りトンネルと201のオレンジがとてもマッチしています。
トンネルの長さは2574メートル。100年以上前に掘られたとはまさに驚異的!
小仏トンネルを出て、相模湖方面に向かう下り201系。
右手前の山と正面の山に間に相模湖があります。
旧甲州街道と甲州街道は、この先で合流します。
こちらは、トンネルに向かう上り201系。
小仏トンネルから相模湖まではいくつかトンネルをくぐり抜けます。
中央高速は補強工事中です。
相模湖駅まで約1キロくらいの辺りで、甲州街道と中央線は再び出合います。
相模湖駅へ
相模湖駅
おわり
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